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前回の記事で,2018年の加賀温泉郷マラソン(4月)について取り上げましたが,
そこで,次はサブ4「は」出したいなと思っていました。今考えると,サブ4「は」という表現は失礼だなと思いますし,本当マラソン舐めていてすみませんでした。というレベルの練習しかしていなかったなと思います。
このPrelude4回シリーズは,過去の自分を戒めると同時に同じ轍を,マラソンを始められたばかりのランナーさんが踏んで欲しくないなと思い,綴っております。
2018年のそれからの記録
加賀温泉郷マラソン後,同じ失敗は繰り返したくないと,少しは走る気になり,2018年5月は88キロ走っています(過去2番目の月間最長距離でした)。そこで,軌道に乗れば良かったのですが,忙しいといった言い訳で,6月以降は
- 2018年6月 32キロ
- 2018年7月 5キロ
- 2018年8月 56キロ
- 2018年9月 60キロ
- 2018年10月 53キロ
- 2018年11月 11キロ
- 2018年12月 12キロ
と以前よりは前向きに練習するようになるのですが,お世辞にもランナーというような練習量とは言えません。
ちなみに,2018年度は,個人的に転機となった年度で,この年度で転職することを決意しています。その転職の準備の関係もあり,また仕事の関係で練習はおろか,休みもなかなか取れないこともありました。週1日休めれば良い方で,なかなかのハードワークだったように思います。特に11月12月は忙しすぎて記憶に残っていないのですが,練習量の少なさも今思えば頷けるものです。
ただ,このままではマラソンを走ることすらやめてしまうのではと思い,2019年4月の長野マラソンにエントリーします。知り合いが,そこに出走するという情報を聞き,それならやる気もアップするだろうと思いエントリーしたわけです。
そんなこんなで,2019年を迎えます。
長野マラソン2019に向けて
2019年は,1月恒例(?)の高槻シティーハーフマラソンに向けて,年末年始を使って,時間を絞り出し,70キロの走り込み(?)に成功します。そして,ハーフマラソンに出走したのですが,そこでは1時間40分台と従来の記録を2分更新します。
この結果から,サブ4はそれなりに練習が積めれば,達成できるのではないかという淡い期待を持つようになります。ただ,そこで油断してしまうのが,過去の自分で高槻シティーハーフマラソン以降は
2019年2月 20キロ (1ヶ月の記録です)
2019年3月 20キロ (1ヶ月の記録です)
とまたしても同じことを繰り返してしまいます。思えば,覚悟というかまぁ,サブ4達成できるだろうという「〜だろう」みたいな楽観的なところがあったのだろうと思います。
そんなこんなで,4月になり,職が変わり,バタバタしている中で長野マラソンを迎えます。
長野マラソン2019
3月から4月にかけては,新しい仕事・新しい生活で不慣れなことばかりで練習する時間も取れず,走れるのかなと思っていましたが,サブ4「は」出したいなという気持ちは変わっておらず,Garminを購入し,気合はそれなりに入っていました。
長野マラソン前日は,前日受付にいき,善光寺に観光に行ったり,
そばを食べたりしてのんびり過ごしました。
その後,長野市内でホテルを取れなかったので,電車で移動をします。その中で仕事をしていたのですが,頭が痛くなり作業が捗りませんでした。急ぎの仕事でもなかったのでまぁいっかと思い,電車で軽く仮眠をとり,その場をやり過ごします。
移動をして,宿泊先のホテルに到着したのですが,着いてからというもの,頭痛はひどくなり,やけに体が熱っていた感じがあるため,少し休むことにします。当初は,夜行バスで長野まできたので,それで疲れていたのかなと思っていました。
ところが,夜になると,熱っぽい症状が出始めたため,これはまずいと思い,近くの薬局で風邪薬を購入し,その場をしのぎます。体温計も持っていなかったので,正直その時何度熱があったのかはよくわかりませんでしたが,頭が痛くボーッとしていたことだけはよく覚えています。
しかし,この時に,翌日のマラソンは絶対に出たいと思っていたので,余程のことがないかぎりは出場しようと思っており,何とか治ってくれと思い,服薬し早めに就寝したのでした。
長野マラソン本番当日
当日は,怠さは若干あるものの,熱っぽさや頭痛は消えており,これなら何とか出れると思い,念のため,再度服薬し会場に向かいました。ただ,当日は10℃を下回る気候だったので,寒気が妙にしました。
スタート前はその独特な雰囲気から気合も入り,体調のことはすっかり忘れていました。そして,号砲が鳴ってからは,自分はサブ4を出すんだという思いで,レースに臨みました。
スタートしてからは,テンションが上がりやすいので,とにかく落ち着いてサブ4のペースを意識する。楽しむ余裕はほとんどなかったように思います。ハーフまでは淡々とそのペースを刻むことが出来ていたように思います。
ところが,25キロすぎに,体の震えが止まらなくなり,また脚もフラフラとし始めます。一旦立ち止まり,ストレッチをして,その場を何とかしのごうとしました。しかしながら,その後ペースを上げることは出来ず,ジョグすらままならない状態になります。
30キロ以降はサブ4を諦め,何でこんな身体動かないんだと悲しみに暮れながら,走ったり歩いたりを繰り返していました。そして,このままリタイアということも一瞬考えましたが,わざわざ長野まで来て,リタイアはありえないとふらつく中で思い,何とか制限時間の5時間までに走り切ると目標を切り替えました。
歩いたままだと到底5時間は厳しいので,最後の方は頭の中で必死に計算をしながら,歩を進めていました。やはり体調不良が影響し,意識遠のきそうでしたが,ただただゴールを目指す,その一点で必死でした。
そして,何とかゴール。終わった瞬間は倒れそうになりましたが,この場で倒れて人様の迷惑になりたくないとゆっくり休める場所まで,何とか歩きます。
メダルを受け取り,自分はなんとかマラソンをやり切ったのだと思いましたが,同時にサブ4を達成出来なかったことへの悔しさがこみ上げてきました。
受け取ってからはほとんど記憶がないのですが,着替えることも出来ず,芝生に1時間暗い寝転がって,回復を待ちました。そのあとも何とか帰宅できたのですが,ほとんど記憶に残っていません。ただただ,電車の中では熱っぽさでうなされていたこと,悔しくて涙を流していたこと,それしか覚えていません。
マラソンに目覚める
体調不良で1週間ほどまともな生活ができない中で,気持ちはリベンジに燃えていました。こんな悔しいマラソンで終わりたくない。そして,こんな中途半端な自分と決別したい。マラソンを本気でやってみたい。そうした方向に気持ちが変わったように思います。
それが2019年5月の出来事で,丁度,平成が終わり令和になる時でした。